お墓が山形を救う

高島の墓P1100420DSC01743

「そんなハカ(墓)な!!」
「始まった、副住職の病気」
そんな声が聞こえてきそうです^^;

写真は、嫁の実家のお墓です。
左は、高嶋という地区にあった時のもの。
右は、寺の後ろに移した現在のもの。
懇意にしている石屋さんにお願いして立ててもらいました。

家族で話し合い、
「なるべく掃除しやすいように」など
じっくり相談してデザインを考えました。

「先祖代々~」と
彫られた部分はサオと呼ばれ、
義父は「新しく取り換えたい」と言いましたが、
嫁と二人で必死に説得しました。

大正八年に、圓蔵さんが建立されたと刻まれてあります。
裕福でなかった当時、
どんな思いで、このお墓を建立したことか。
台座は、富澤石(最上町)です。
日本産の石は、外国のそれと比べると、地味で高いですが、
なぜかしっくりきますね。

いま、寺の墓地には、
江戸から平成にかけて、
様々な形と石でできたお墓が並んでおり、博物館のようです。
いつも何気なく見ているお墓に
興味を持ち始めたきっかけが、
山形大学教授の三上英司先生との出会いでした。
先生のご専門は、墓誌の研究です。

先生の墓の話が、それはそれはとても熱くて、
いつの間にか私に伝染してしまったようです。
現代の吉田松陰みたいな方でしょうか。

二年前、新聞でボランティアの募集記事を見つけ、
西川町本道寺の石碑群整備も手伝っております。

そして今年、
三上先生のご紹介で、
山形大学教授・荒木志伸先生を講師に、
本道寺の石碑群を一緒に観てまわる講座を予定しております。

http://eishoji.info/?page_id=24

石碑に彫られた文字は、
たとえ時が経過しても、保存状態が良ければ、のこります。
荒木先生が
「山寺(立石寺)は、火災にあっており、資料がほとんどないが、
石碑があるので、そこから当時のことを読み取ることができる」
とおっしゃってました。
本道寺もしかりです。

また、最上川沿いには、
江戸時代の、全国の石でつくられた墓がゴロゴロしているそうです。
北前船の帰りに、船のバランスをとるために、
当時上方などで流行した最先端の墓石を
船底に積んだそうです。

さらに、宮城県でも、
昔からある道沿いには、
「湯殿山」と彫られた石碑を見かけることがあります。
江戸から明治にかけてのもので、
お隣の宮城から、山形の出羽三山参りをした証です。
まさに石碑は日本の文化遺産。

この石碑を大事にしなかったら、
何を大事にするんでしょうか?

「そんな馬鹿な!!」
これからは、そう言われることを
「ドンドンしていくべきだ!!」と
胸をはって言いたいです^^!!

ここまで読んで頂き、有難うございました m(_ _)m

 

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