おとなの寺子屋

平成29年度 おとなの寺子屋 

平成29年度 おとなの寺子屋

山岳信仰と永昌寺鎮座の火除け「権現」

第1回 「山岳信仰と飯綱権現」
6月16日(金)19:00~21:00

第2回 「白山・秋葉山信仰と曹洞宗」
6月22日(木)19:00~21:00

講師:三上英司先生(山形大学教授)

三上先生からのメッセージ
「永昌寺のご本尊に寄り添う脇侍の秋葉権現(飯縄権現)像は、なぜここに鎮座なさっているのでしょう。ここに、仏教と山岳信仰とがダイナミックに一体化した日本仏教の姿が現れています。皆様と日本文化の懐の深さを共有できればと思います。」 

場所:永昌寺本堂
会費:無料
お問合せ 電話 090-2532-7214(副住職) メール:m703921209@yahoo.co.jp

平成28年度 おとなの寺子屋 
良寛さまのうた
第1回「漢詩」良寛さまは「きまりごと」がお嫌い ~書き起こし その②~


5月11日(水)友引19~21:00@永昌寺
第一回「漢詩」良寛さまは「きまりごと」がお嫌い 
~その②~
講師 三上英司先生(山形大学)

「形見とて 何残すらむ 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉」

このうたは、実は万葉集の作り方。
良寛さまが晩年好んで口ずさんだ歌。
良寛さまが「何を大切にして生き、何を自分が生きた証としてこの世に残していくのか」が非常にきれいに出ている歌なので、今回このうたを三回分のお話の主題・テーマとしました。

実は、これとほぼ同じ内容のことをいっているのが空海。宗派を超えて仏道における ”悟り” はこういうところにある。

先日の大学の授業での話。
「目に青葉 山ほととぎす 初がつお」学生はこの歌を知らない。
日本人はなんて貧しい季節感の中で生活するようになったのか?

漢詩:本来「からうた」と読む。
「かんし」と読むのは、漢詩をやっている人間が日本の詩を馬鹿にして上から目線で使う時の言葉。日本人が、対等の感覚で中国から渡ってきた詩を読む時には「からうた」と読む。
同様に、和歌と書いて「やまとうた」と申します。

良寛さまは「きまりごと」がお嫌い。
漢詩は、非常にきびしいルールがある。中国で使われる歌はすべて韻をふんでいる。韻をふまなきゃ歌じゃない。偶数の句は、最後の漢詩の音をそろえなければいけない。日本にはそれがない。

実は、イギリスの中世の詩も、ドイツ・フランス・古代ローマ・古代ギリシャの詩も、「歌というのは韻をふむもの」というのが世界中の常識。
日本語は韻をふむのが難しい。日本語は世界中でも特別な言葉で、言葉の意味は言葉の下に「て・に・を・は」がついて決まる。最後の句で使える韻が四・五種類しかない。

松尾芭蕉「松島や ああ松島や 松島や」
この技法は、芭蕉がたった一度しか使わなかった。そのくらい日本語は韻をふむのが難しい。ラップは、韻をふまなきゃいけない。そこで、日本語と英語と交ぜながら作るが、成功しているのはない。理由は簡単。日本語は韻をふむのが難しいから。

日本語と同じ文法構造をもっているのは、朝鮮語・モンゴル語・トルコ語・スウェーデン語。これは、世界地図になると横一線になっているのが分かる。間違いなくこの人種は起源を同じにしている。人口的には少数グループ。韻をふむのが難しい。韻だけではない云々。

日本人にとって漢詩は、とても窮屈なリズム。